田籠 篤志 tagomori atsushi プロフィール
[Ⅰ]今までの仕事と期間
1955年10月 大分県宇佐市にて誕生
幼少期は福岡県の筑豊地区で腕白として育つ。
その後、父の仕事の関係で東京都足立区西新井に居す。
1964年5月 千葉県松戸市に居を移し青年期を過ごす。高校時代はラグビーに熱中し引退試合で鎖骨骨折しラグビーと決別。
1973年4月 大学入試が肌に合わず推薦入学が出来る大学として石川県金沢工業大学建築学科で町屋建築を専攻とし勉学に勤しみながら今を時めくフェンシングと自転車に熱中する。
1977年4月 地方の大学故の、のんびりとした環境の為、就職活動に遅れを取ったが福岡県出身の社長㈱江戸川建設(千葉県松戸市)に拾われる。後の㈱エドケン
建築関係を目指すも現実とのギャップを眼の辺りにして不動産営業に配属。
① 建売分譲住宅販売営業
② 注文住宅営業
③ 販売済み顧客管理と既存客への住宅販売
④ マンション事業部設立に携わる。新宿支店勤務
マンション事業部は会社として初めての事業部の為、金融機関折衝、土地情報収、業者開拓、商品企画、販売、資金回収までの一連の業務をこなす。
⑤ 事業部格上げ東京支店となり港区南青山へ移転する。
このころより世はバブル期に突入し金が乱れ飛ぶ狂気の時代となる。
然しながらマンション事業部は手堅く一般ユーザーを対象としたレジデンシャルを
創り出すが世の波に勝てずリゾートマンション(清里・熱海・軽井沢)に事業の拡販を求め、収益物件(RC系のデザイナーズマンション)等も手がける。
⑥ バブル期も終焉に近いた頃、日本航空、栄泉不動産(住友BK系先日倒産)、アサヒビール等の出資会社「㈱THE軽井沢」へ出向し軽井沢リゾートプロジェクトを事務局長として業務する。
⑦ バブル倒壊後、THE軽井沢も解散し古巣に戻るも窓際族となり退職。
1991年11月 サラリーマン社会を離脱し自宅にて不動産業務を始める。
1993年 4月 船舶の関係で知り合った㈱セブンプロ(不動産業)へ、就職し不動産分譲開発業務(地上げ、銀行折衝、行政折衝)���傍らに系列の静岡県伊東市㈱川奈マリーナ専務取締役に就任し、川奈マリーナとしてダイビングスポットの開拓として川奈漁協(現伊東市漁協)と管轄海域開放に疾走する。
現在伊東市川奈はビーチとボートダイビングが解放されてい